エゴの野望その② 認められたい・わかってほしい

こんにちは。
前回のエゴの野望その① 特別扱いしてほしいでは、エゴっていつも特別扱いしてほしくて、ウソつくようになって、みじめになるよってお話でした。

今回はよく似たテーマですが、ちょっと違う切り口でお送りしようと思います。
エゴが自分のことを他人にわかってほしくて、行きすぎた先のお話です。
 

・エゴはいつだって認められたい・わかってほしい
・自分を理解してもらうなんてできない
・理解されようとしたすえに無理やりコントロール

エゴはいつだって認められたい・わかってほしい

けっこう前に、本音が言えない理由…認められたいで、認められたいと思えば思うほど、認められないっていうジレンマの話をお伝えしました。
「認められたい」っていうのも、エゴが出す感情なんです。

「認められたい」って感情は、誰でも持っている普通の感情と思われがちですが、行きすぎると諸悪の根源と言ってもいい感情です。
認められようと思うと、ぎこちなく、表面を飾るようになり、ウソをつくようになってしまいます。
前回、エゴの野望その① 特別扱いしてほしいでお話ししたように、表面だけ飾ってウソをつくようになると、もう自分の人生ではありません。
妄想の世界に入り込んでしまって、ウソを一生つき続けることになります。

エゴはいつも、自分を認めてほしくて、わかってほしいです。

「私はこんなに頑張っているのに、どうして認めてくれないのか?」とか、
「私はリベラル主義(自由主義)だから今までと同じことはしたくないのに、なんで理解してくれないんだ?」とか、
「俺がマルチに関わるわけないのに、なんでサプリメントを勧めてくるんだ?」とか、
「こんなにあなたのために尽くしているのに、どうしてわかってくれないの?」とか。

あなたもいろいろな場面で、こんな言葉を見聞きしたり、言ったりしたことあると思います。
エゴは自分の全部を他人に理解してほしくてたまりません。
そして、相手も同じであってほしいんです。

相手がわかってくれないとなると、エゴはものすごくつらいです。
そしていろいろな手段を使って、あの手この手でわかってもらおうとするんです。

・まず雰囲気だしてみる。それがダメなら、
・言ってみる。それがダメなら、
・すがってみる。それがダメなら、
・泣いてみる。それがダメなら、
・怒ってみる。それがダメなら、
・暴力をふってみる。・・・。

だんだん攻撃的になっていきます。
そして、距離を置かれたり、ケンカしたり、もうやり直せないくらいミゾができたり、疎遠になったりするという結果が待っています。
エゴのやることって、いつも空回りなんです。

自分を理解してもらうなんてできない

「レイラはとても冷たいことを言うなあ。」と、常々思っていらっしゃる方もおられるでしょう。
真実を知ることって、結果的にエゴが否定されることになりますから、エゴは傷つくんです。
でも、野性の(本当の)あなたは傷はつかないので、大丈夫ですよ。
傷ついたと思っているのは、エゴだけです。

「自分を理解してもらう」を掘りさげて考えてみます。
以前の記事の、同じ言葉を使ってんのになぜかかみ合わない人っているよねにあるように、言葉のイメージって、ひとりひとり違います。
あなたの中には、数えきれない言葉ひとつひとつにイメージがついていて、あなたの世界を作っています。

日本語を使っている人だけでも1億2.3千万人くらいですかね?
そのなかで、数えきれないバリエーションの言葉のイメージがあるわけです。
そして、ひとつの言葉から連想されるイメージもひとりひとり、一言一言違います。
その組み合わせが、ひとりひとりの個性なわけです。

そんな、数えきれない言葉が一緒の、個性がまったく一緒の人なんて、いるわけありません。
人間には言葉を使うしか伝える方法がないのに、その一言一言のイメージがぜんぜん違う人が日々話をしているわけです。
相手を理解するなんて、途方もなく無謀なことなんです。

それは当たり前のことで、淋しいことでもつらいことでもありません。
でもエゴにはそれがわかりません。
なので、エゴは自分が理解してもらえないことに、傷つくんです。

そして傷ついたエゴは、その感情をゆさぶる映画を作り、あなたにせっせと見せています。
なので、あなたも傷ついたように思うわけですが、つらがる必要はありません。
全部エゴのしわざですから。

理解されようとしたすえに無理やりコントロール

さっきも言いましたが、理解されようとして、エゴはどんどん暴力的になっていきます。
それって、強引に理解されようとするってことですね。
コントロールです。

強引に、相手に言うことをきかせる。

「わかってもらいたい!」ってかわいく言っているように見えて、心の中は違います。
心の中では、相手に強引に言うことをきかせるような、サディスティックなイメージが広がっているんです。
(怖いですね~。)

理解してもらいたくて、できないので相手をコントロールしてやろうなんて思いだしたとき、人は狂気に変わります。
そして、わかり合えるなんて絶対ないんです。
エゴの幻想です。

そもそも「理解してもらう」なんて、一方的で受け身ですから上手くいくはずがありません。
エゴは自分が相手を理解する気なんてないんです。
エゴの行動パターンはいつもこうやって受け身なんです。
そして、失敗します。
(エゴは失敗に気づいてませんけど…。)

お互いを完璧に理解し合えるようになるには、全員が同じ人間にならないといけないわけです。
それでは話する意味がありません。
違うものが、わかり合えないけど、わかり合おうとして、言葉を使って交流するんです。

エゴの映画に没頭しすぎて、そこをカン違いしてしまうと、苦しみが生まれます。
エゴの生態その⑥ 過去と未来にしかいないにあるように、今を感じる時間をできるだけ作って、現実世界により長くいるようにしてみてくださいね。

今日も長々と読んでいただき、ありがとうございました。
次回はいよいよ、「エゴと言えば・・・欲!」って話をお送りします。

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