エゴの野望その③ なんでも手に入れたい

こんにちは。
前回のエゴの野望その② 認められたい・わかってほしいでは、エゴがすぐ空回りして暴走して怖いよ~ってお話でした。

今回は、エゴの主な活動の核となる感情、「なんでも手に入れたい!」についてです。
エゴの映画って、なんでも欲しいから作られているんです。
 

・エゴはなんでもかんでも欲しい
・なんでそんなに手に入れたいの?
・もっともっと欲しくて「足るを知る」ことがない
・エゴの誤算

エゴはなんでもかんでも欲しい

エゴは、なんでもかんでも欲しがるんです。
自分が持っているものは誰にも渡したくないし、他人が持っているものを見て、それも欲しいんです。
他人が持っているものが、うらやましくてたまりません。

高級なものから、安いものまで。
当然価値のあるものの方が良いですが、エゴは、はずれしかないクジだって欲しいんです。
ホントなんでもかんでも。

ものだけじゃないんです。
他人の才能や、地位、権威、世間からの評判など、目に見えないものも欲しいです。
他人がほめられている姿を見ては、エゴもそれ以上にほめてほしいと思います。
(これは前回のエゴの野望その② 認められたい・わかってほしいでお話ししましたね。)
周りの誰かが「あの人ホントにカッコいいわねえ。」なんて言ってるのを聞いたりするともう、うらやましくてうらやましくて。
他人の振る舞いやしぐさ、雰囲気、オーラとか訳のわからないものまで欲しいんです。

そしてまだまだそれだけじゃないんです。
他人の人間関係も欲しいんです。
他人の友だち、他人の同僚、他人の上司・部下、他人の恋人、他人の夫・妻、他人の子どもなどなどまで。
他人のステキな人間関係が欲しい、できのいい夫が欲しい、子どもなどは実際、連れ去られたりするいたましい事件が起こったりしてます。

なんでそんなに手に入れたいの?

エゴって大きくなりたいんです。
(この説明、なんだかバカっぽくてごめんなさい。)

エゴは、エゴの生態その④ 自分の体や持ち物を自分とカン違いでお話ししたとおり、自分の体や持ち物などを全部「自分」と考えています。
エゴはなんでも手に入れると、自分が大きくなれると思ってます。

エゴにとって大きくなるは、「幸せになる」を意味します。
大きくなれば、力が大きく、威厳が増し、器が大きくなったような気がするんです。
そうすれば、周りの人に一目置かれたり、尊敬されたり、頼られたりするんじゃないかと。
そうなれば、幸せになれるんじゃないかと。
エゴも結局は幸せになりたいんです。

まず「お金」
お金があればだいたい何でも買えますから、ものすごく欲しいですね。
ものも買えますし、なんだったら「人間関係」とかまで買えますね。
「そんなに仲良しでもないのに、おごってもらえるから付き合ってるような友達」とか、
「お金目当ての恋人っていうのが丸わかりな人」も、ちょいちょい見かけますよね。

そしてエゴは、ものも欲しいです。
ものがあると安心します。
ものがいっぱいあると、自分が大きくなると思っています。
自分が大きく、素晴らしい自分になって、幸せになりたいんですね。

中身はクズなものでも何でも手に入れたがるので、エゴの強い人の家の中はモノがいっぱいです。
(たいてい家の中がものでいっぱいの人は、貧乏ってことになっているんですが、その話はまた今度しますね。)

もっともっと欲しくて「足るを知る」ことがない

「足るを知る」という言葉。
あなたも一回くらいは聞いたことあるでしょう。
「足るを知る」とは言葉のとおり、足りて満足するということがわかるってことですね。

エゴは「足るを知る」ということがないんです。

大きくなって幸せになりたいエゴの欲には、終わりがありません。
何かを手に入れても、その時はすごく嬉しいんですが、その興奮はすぐ冷めます。
今度はまた別のものが欲しくなってしまうんです。

エゴが暴走するんです。

もし、「引き寄せ」で何か手に入ったとします。
ホントはもともと、エゴのお願いしたものって手に入りません。
エゴの願いはだいたい、自然の流れに反してますから。
ですが、たまたま「野性の(本当の)自分」の意図とエゴの欲しいものがかぶっていることがあります。
それで時々エゴの欲しいものが手に入ることがあるんです。

欲しいものを手に入れたエゴは、有頂天です。
舞い上がって、人生がバラ色に見えます。
何でもできる気になって、世界征服でもしたかのような喜びに満ちあふれます。
(世界征服がどんな気分なのかはわかりませんが・・・。)

でもすぐに冷めてしまいます。
そして、手に入れた何かを本当に欲しかったわけじゃないなんて思いだします。
あんなに欲しかったものが、色あせて見えてくるんです。
そしてしばらくすると、あの「取得の喜び」が味わいたくて、また何かを手に入れようとするんです。

また別の例でいくと、摂食障害で過食になっている人とかも、エゴの暴走に当てはまりますね。
精神的な疾患はたいていエゴが起こしていますから、「食べ物を欲しい状態」が暴走してしまうと過食になってしまいます。
心のすき間を埋めたくて、食べ物で補てんしようとするんです。

でも食べても食べても、心は満足できません。
(当たり前ですけど・・・。)
エゴに取りつかれたように食べて、後で空しさに気づいて、今度は出してしまいます。

エゴの誤算

何回も言うんですけど、エゴは算数できないんです。
ほんとアホですから。

エゴは未来の行動を一生けんめい想像してシュミレーションするんですが、なにせ計算できないので上手くいかないんです。
今回のエゴの誤算は、
「うらやましくて、他人のマネをする。」
ことにあります。

エゴは他人の生活、もの、心、人間関係、何でもうらやましがります。
そしてエゴは考えます。
「う~ん。私もあんな生活、もの、心、人間関係を手に入れるにはどうしたらいいものか?」と。

エゴが必死で考え出した結論は、
「他人のマネをする」です。

他人の言動、ふるまい、タイミング、一生けんめい観察して研究します。
そして真似してみるのですが・・・。
いかんせん、本質がついて行ってないので上手くいきません。

何かカッコつけて言ってみても、カッコつくだけの力量や器の大きさがないんです。
エゴには力も、魅力も、包容力も、優しさもないんです。
いくらエゴが頑張っても、カッコつかないんです。
残念。

こうしている間も、エゴはせっせと映画を作って、あなたを誘導しています。
欲しがっているのは、たいていエゴのしわざです。
あなたもなにか買うとき、誰かにもらいたいとき、少しの間、考えてみてください。

あなたはそれが、ホントに欲しいんですか?

また今日も、長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。
次回は、エゴの差別意識について語りたいと思います。

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