エゴの野望その⑥ 何もしたくない。そしてプライドだけ高くなる

lazy

こんにちは。
前回のエゴの野望その⑤ 他人に同情したいでは、エゴは同情するのが好きで、イヤなことは人まかせな面についてお話ししました。

今日は、エゴの野望最終章、エゴはだらしなく怠惰を続け、そのうちプライドを高くしていくっていう話をお送りします。
あなたもエゴについては、だんだん解ってきたと思います。
もうすぐあなたもエゴマスターですね。
(エゴマスターって言われても、あんまりうれしくないか。)
 

・エゴはだらしなく、あなたに何もさせたくない
・だらしないが慢性化すると?
・意味なくプライドだけ高くしちゃった
・ここまで読んできて、エゴがすること

エゴはだらしなく、あなたに何もさせたくない

エゴってだらしないんです。
前にエゴの生態その⑤ 現状維持でもお伝えしましたが、エゴはだいたい何もせず、現状維持を選びます。
その理由には、失敗したくないとか、無鉄砲なことをしないとかもあります。
でも、その他に大きい理由として、「怠惰」があります。

前回のエゴの野望その⑤ 他人に同情したいでも触れていますが、エゴって、自分は何もせず、他人の成果を横取りするようなところがあります。

「人の話をとって、自分の話につなげる。」とか、
「同僚の手柄を、自分がやったように上司に言う。」とか、
「他人の苦労を、さも自分の苦労のように言う。」とか、
「子どもの成績が良いのを自慢する。」とか、
「権威がある人と(ホントはそれほど仲良くないのに)仲が良いと言いふらす。」とか。

自分は結局なにもやってないのに、周りからはすごい人間のように見られたいので、そんな行動をしてしまいます。
エゴってホント、チキンですよね~。

エゴは、最終的には長生きしたいです。
でも長生きしようとするあまり、現状維持を続け、なにもしなくなります。

あなたにも経験があるんじゃないかと思うのですが、一旦だらけてしまうとだんだん何もしたくなくなったことってありませんか?
少なくとも私は若い頃、どっぷりとエゴに支配されていたので、果てしなく、だらしなく過ごしました。

だらしなくしていると、だんだん慢性化してしまって、何をするのも「たいぎ」になってきます。
ずっと何回もやったようなゲームばかりしてみたり、
なんの目的もなくただただテレビを見続けたり、
老人でもないのに布団から出ず、寝たり、エゴの映画を見たり。

「怠惰」そのものでした。
この場合のゲームは、何回も繰り返す、なんの進展もないものだったり、
テレビも、何の情報もないどうでもいい番組ばかり見ます。
「老人でもないのに」なんて、高齢者に失礼ですよね。
高齢者のほうが元気だったりします。
いろいろなことに積極的で、前向きに様々な活動をされている方が多いです。

エゴに操縦されていた時間は、なんの生産性も、学びも成長もない時間です。
なにもしないと言っても、仕事のあいまの休憩とは違います。
本当にムダな時間です。

エゴは長生きするために、現状維持を続け、本当にムダな時間をあなたに過ごさせようとしています。

あなたはこんな人生で満足ですか?

だらしないが慢性化すると?

だらしないが慢性化すると、おしりが床から離れません。
物理的にそうなるっていうことは、心の中がそうなっているってことですね。
(心や脳やなどが体に指令をだすのであたりまえですが・・。)

だらしないが慢性化した心や脳の中は、どうなっているでしょう。

だらしないを続けるって、1人でできることじゃないですね。
何かを生産しないのに食べていくってできないですから。
お金を得る手段がなにもないのに、だらしなくするってできないんです。

例えば大人になってもニートの人って、ひとりでは成り立ちません。
衣食住を用意してくれて、ゲームとパソコン買ってくれて、Wi-Fi環境も整備してくれる人がいないと無理です。
たいていはそれを親がしています。

ということは、親に食べさせてもらうとか、誰かに援助してもらうとか、何かがないといけません。
自分がだらしない分、誰かがだらしない人の食べる分を用意しないといけないんです。

そして本題の、誰かが用意してくれたものを、受け取るときの精神状態なんですが・・・。

最初は罪悪感や劣等感もあるんです。
してもらって悪いな~とか、
私ってなんでこんなに無能なんだ~って思いが。

それがだんだん重なると、慣れてきます。
罪悪感は、薄く薄くなっていきます。
やってもらうことが当たり前になってくるんです。

やってもらうのが当たり前ってことは、エネルギーの計算が合わなくなります。
(いつも変なことばかり言いだしますね。すみません。)
こっちは何も出さないのに、もらうばっかりってことですね。
エネルギーが一方通行にしか流れていってません。
親から子へ。
反対に子から親へは何もないってことは、エネルギーはそこで止まり、循環しなくなってしまいます。

これがエゴの作戦です。
エゴはいつも自分からは何も出さず、もらうばっかりしようとしてます。
そこがエゴの計算できない(って私がいつも言っている)一番の原因です。

ちょっと話がそれてしまいました。
やってもらうのが当たり前になった頃の精神状態はというと・・・。

「やってもらってなにが悪い!」です。
もう開き直るんです。

そして開き直ってしまった後は、もう怖いものなしです。
人間同士という感覚がマヒしてしまいます。
だって自分は何もしないのに、何でもしてもらえるのが当たり前な感覚。
王子様か、お姫様か、超金持ちでもない限り、ふつうでは無理です。

その感覚って、
「根拠のない特別感」とか、
「本質のない全能感」です。
要は、意味なくプライドだけが高くなるんです。

意味なくプライドだけ高くしちゃった

あなたはテレビなどで、ニートと親の関係を見たことがあるでしょうか?
見たことがない方はちょっと想像がむずかしいかもしれませんが、
ニートって、親に対してものすごくいばるんです。

普通に働いていている人なら、見ていて、
「働いてないのに何であんな言い方するんだ?」とか、
「一人前な口をきくなら働いてからにしろ!」などと思ったり、テレビに怒鳴ったりしてしまうような場面です。

ですが、当の本人は大まじめで親をバカにします。
自分だけは、何も出さなくても世界に許される、特別な人なんです。
怠惰なエゴは、本気でそう思っています。

このプライドはとてもやっかいです。
(前に「ちゃっちいプライド」が邪魔して逃げられない悲劇でプライドについて説明しています。ここでのプライドとはでき方がちょっと違うので、結果も少し違いますが、プライドが厄介なことはわかっていただけると思います。)

プライドは自分を守る、強力な壁です。
外部からの圧力には絶対負けません。
なので、どんな人が助言しても、強引に働かせようと思っても、動かせません。
誰の意見もバカにしてしまいます。
なにせ、根拠なく特別なんですから、根拠を示しても間違いには気づきません。

また、プライドを高くしてしまうと、もう自分を客観的には見れません。
自分がどんなに理屈に合わないことをしているのか、理解することができません。
その上「怠惰」にブリがついていますから、自分から間違いに気づくなんて絶対できないんです。

ということは、もうどうしようもないってことです。
エゴに支配されて、プライドをうず高くしてしまうと、他人にも自分にもどうしようもないんです。
一生このままで、ジ・エンドです。

ここまで読んできて、エゴがすること

ここまで書いてきて、今回はニートの話を主にお話しするようになってしまったんですが、ちょっと誤解をまねく表現になってしまったなあと思うので、もう少しお付き合いください。
今ごろあなたのエゴは、ムクムク動き出してきていませんか?

今日は「ニートの中のエゴについて」が、例としてわかりやすかったので挙げたんですが、私はニートの方たちを批判したいわけではありません。
ニートを社会問題として、何とかしなくちゃとも思っていません。
エゴの生態その② 良い悪い・善悪などのレッテルを貼るでもお伝えしていますが、良い悪い・善悪を判断するのは、エゴのしわざですから。

ここでもエゴは、私の話を聞いて、「だからニートが悪いんだ~」って、決めつけてしまいます。
でもそうじゃないんです。

ニートで、親のお金で暮らすことって、ぜんぜん悪いことではありません。
社会に危害も与えていませんし、法も犯していません。
だって、お金持ちの奥様や、お坊ちゃまや社長令嬢たちも、やってることはニートと同じです。
なのにお金持ちは良くて、そうじゃないとダメなんて、それこそエゴのえこひいきです。

ニートでも、上でお伝えしたエネルギーを止めなければ、根拠なき特別感をエゴが感じることはありません。
根拠なき特別感を感じなければ、プライドが高くなってしまうまでエゴの暴走をほおっておくこともありません。

エネルギーを止めないようにするには、ニートの例でいくとですね。
親がお金を出すんだから、それ相応の利益や喜びを親にあげればいいんです。
そうすると、普通の買い物と一緒ですね。
買い物は、お金を出して、利益や喜びを感じるってことですから。

どうすればいいかっていうと、親に、
「ありがとう。」って言って、にっこり笑えばいいんです。
それで親が利益や喜びを感じるなら、一方通行のエネルギーは循環するんです。
ただ感謝するだけです。

ここでお話ししたいのは、
エゴに主導権を渡してしまうと、プライドが高くなってしまうってことです。
それはニートが悪いわけではなく、エゴがそうさせているってことなんです。
プライドが高くなってしまうと、もう学びや成長はありませんから、エゴの支配から抜け出るのは難しくなります。

でももし勉強して、エゴに支配されないようになると、何でもやりたくなります。
人間って、「今」しかない現実世界で、経験するために生まれてますから。
なので、ニートの中にエゴに支配されてしまっている人が多いというのも事実ですけどね。

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今日でエゴの生態観察は終わりにしたいと思います。
あなたも、エゴのこと、もうよく解ってくださったと思います。

次回からは、今までのエゴの生態観察をふまえて、どうしていったらエゴとうまく付き合っていけるかについて、お話ししていきます。
エゴマスターになれば、けっこう生きるのが楽になってきますから、興味のある方はお付き合いくださいね。
今日も長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。

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