エゴの生態その② 良い悪い・善悪などのレッテルを貼る

こんにちは。
前回のエゴの生態① 頭の中でずっとおしゃべりでは、エゴがやっていることと、その誤算についてお話ししました。
エゴはけっこう一生懸命なのですが、やっていることはめちゃくちゃで、時として空回りしてしまいます。
今日は、私たちに大きな影響を与えているエゴの行動についてお送りしていきます。
・それでもエゴがしていることが役に立っている
・どんな物体にも良い悪い・善も悪もない
エゴのレッテル貼り
エゴはなんでも評価したがり屋です。
何にでも、良いとか悪いとか、善だとか悪だとか、どうとかこうとか優劣や上下を決めたがるんです。
そして、レッテルを貼ってしまいます。
レッテルとは、商品に貼る「ラベル」のことですが、転じて、主観に基づいてその物事や人の格付けをしたり、分類したりすることを言いますね。
何かについて、自分の偏見で「この人はこうだ!」とか言って決めつけるんです。
エゴは毎日、常にレッテル貼りをしています。
朝起きて、
「雨が降ってるから嫌な朝だ。今日は嫌な日になるに違いない。」
と今日にレッテルを貼り、電車でうるさい高校生を見かけると、
「こいつらうるさいな。絶対勉強できないな。」
と、関係ない人にレッテルを貼り、会社でエリートの同僚を前にして、
「こいつやけに出世してるな。何か上司にこびを売っているに違いない。」
と同僚も悪者扱いです。
そして家に帰れば奥さんに冷たくされて、
「こんなブサイクな嫁にまで優しくされないなんて、なんてかわいそうな俺なんだ。」
と、妻にもレッテル、自分にまでレッテル貼りです。
別に雨が悪いわけでも、今日が嫌な日でもなかったし、
うるさい高校生は、超有名進学校の生徒かもしれません。
エリートの同僚はただ仕事ができるだけかもしれませんし、上司にこびを売っていたとしても、それはエリート同僚の戦略です。
全く悪いことではありません。
ブサイクな奥さんは、国と時代が違えば絶世の美女だったかもしれませんし、
妻も子どもも居て、あなたを待っていてくれる環境って、あなたは全くかわいそうではありません。
でもエゴはこうやって、一日中、事あるごとに評価して、レッテル貼りをしているんです。
そして、逐一エゴが評価してレッテル貼りをして解釈した世界が、あなたの中に広がることになります。
多かれ少なかれ、あなたはエゴが評価した世界を見ているんです。
あなたはどうですか?
思い当たる節はありませんか?
でも思い当たっても、エゴはあなたではありません。
エゴの想いを頭で再現されているだけなんです。
それでもエゴがしていることが役に立っている
今までエゴのしていることをこき下ろしてきたのですが、今度はちょっと擁護してみます。
エゴはなくてはならないものかも?では、エゴはあなたに長生きさせたがっていることをお伝えしましたね。
エゴも、やみくもにこんなことしているわけではないんです。
エゴが常にやっているレッテル貼りですが、何でしているのかって、
やっています。
例えば街で怖そうな人が歩いてきた時。
エゴは、
「向こうから歩いてくる人怖そう。ゼッタイ暴力団関係だ。」
と決めつけます。
すると、違う道を行ったり、近くの店に入るなどして、危険から逃げることができます。
もしかすると怖そうに見えた人は、全然怖くないかもしれません。
でも怖そうな人が、あなたにからもうとした可能性はなくはないですね。
(顔の怖い人って、案外優しい人が多いんですよね。)
もし怖そうな人があなたに危害を与えようとしていた場合は、未然に危機を防げたってことになります。
また例えば、あなたの家の冷蔵庫に黄色い豆腐が入っていたとします。
エゴは、
「こんな黄色い豆腐見たことないな。ゼッタイ腐ってるぞ。」
と決めつけます。
そしてあなたは黄色い豆腐を捨てて、食中毒の危険から逃げることができます。
もしかすると黄色い豆腐は、奥さんが買ってきた卵豆腐かもしれないですね。
でも黄色い豆腐はホントに腐っていたのかもしれません。
(ちなみに卵豆腐って、超美味しいですよね。)
もし黄色い豆腐が腐っていたのだとしたら、あなたは未然に食中毒の危機を防げたってことになりますね。
(もし黄色い豆腐が、奥さんの買ってきた卵豆腐だとしたら、あなたが捨ててしまった黄色い豆腐を見て、めちゃ怒られる危機はありますね・・・。)
こうやってエゴは、いろいろなものにレッテルを貼って決めつけることで、あなたを危機から守っているんです。
どんな物体にも良い悪い・善も悪もない
突然ですが、あなたの目の前に転がっているシャープペンシル。
(目の前にシャーペンがないとしても、仮定で考えてくださいね。)
シャーペンには良いも悪いも、善も悪もないです。
悪のシャーペンっておかしいです。
でもエゴは、何にでもレッテル貼りをします。
シャーペンにだって、はやく書けるから良いとか、重いから悪いとか、色が気に入らないとか。
でもあなたの目の前にあるシャーペンは、ただ「在る」だけです。
超大きい話ですが、 なんです。
(スピリチュアルの先生がよく好んで使いますよね。「宇宙」とか「在る」とか。)
でもエゴは、ただ「在る」だけのシャーペンに、解釈をつけて勝手にレッテルを貼っているだけです。
遠いものから言うと解りやすいかもしれないですね。
私たちの居る太陽系は「在る」だけですね。
ただ宇宙に浮かんでいるだけです。
地球も「在る」だけ。
海や山などの自然もただ「在る」だけなんです。
でもここくらいから、エゴはレッテルを貼りだします。
山が美しいから良いとか、土砂崩れするから悪いとか。
もう少し近くなってくると、レッテル貼りは加速します。
意志を持たない人工物にも、さっきのシャーペンのようにレッテル貼り。
植物、動物にもレッテル貼りです。
花が美しいから良いとか、蚊は刺すから悪いとか、マグロは美味いから良いとか、クマが山に出たら悪いとか。
最も身近な人間には、本当にレッテル貼りまくりです。
あの人が有能とか、この人はいじわるとか、有ること無いこと好きなことを言いますね。
危機を防ぐまでは良いのですが、だんだんエゴは有ること無いことであなたを惑わせてきます。
エゴに翻弄されて、有ること無いことを信じていてはいけません。
ぜひ、あなた自身、周りにあるもの、近くにいる人の、「在る」を感じてみてください。
です。
良いも悪いも、善も悪も、美しいも醜いも、賢いもバカも、有能も無能も、優劣も、上下もなく、 なんです。
次回も、エゴの生態の続きです。
何回かに分けて、エゴに迫っていきます。
今回も長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。