エゴとあなたの共依存
こんにちは。
前回のエゴ最大の誤算…受け身思考では、エゴはエゴであるがゆえに「受け身思考」で、エゴ自身にそれは気づけないので、一生エゴはエゴのままだっていうお話でした。
今日は、どうしても受け身になってしまうエゴと、あなたがお互いに依存しあってしまって立ち行かなくなってしまうことがあるよっていうお話をします。
・共依存ってなに?
・なんでエゴに決定を任せてしまうの?
エゴとあなたの共依存
エゴはあなたに行動を促すような映画をせっせと作り、あなたに見せ続けています。
エゴはあなたのように体を持っていませんから、現実世界に接触しようと思ってもできません。
なのでエゴは、あなたの体を使いたくてたまらないんです。
前回のエゴ最大の誤算…受け身思考でお話ししたのですが、エゴは現実世界に触れたくてたまらないけどできないので、あなたに映画を見せて誘導して、あなたに行動してもらおうとします。
でもエゴは映画を見せることしかできませんから、あなたに映画を見せた後は、待つしかないんです。
なのでエゴは、いつも「受け身思考」です。
別の言い方をすれば、あなたに「依存」しているんです。
エゴはあなたの体がないと、夢を実現できないから。
(夢といっても、楽して何もせず、チヤホヤされて生きたいっていうクソな夢ですが・・・。)
では逆にあなたのエゴへの「依存」と言うとですね。
エゴはあなたにとって、とても楽な存在なんです。
なにって、 から。
(ホントは、決定してるのはあなたなんですが、エゴが勧めて誘導するので、エゴが決定しているみたいに見えるって構造になってます。)
エゴは楽に、何もせず、チヤホヤされて生きられるように頑張っています。
そして、「あなたがそうなるように行動するんじゃないか?」っていう予想をもとに、映画を作ってあなたに見せるわけです。
エゴはエゴの生態その② 良い悪い・善悪などのレッテルを貼るでお伝えしたとおり、都合の良いように世のなかを判断します。
そして都合の良いような映画を見せて、エゴに都合が良いような選択肢にあなたを誘導するわけです。
そしてあなたがエゴの映画を見ます。
あなたがもしエゴの誘導したとおりにしたら、とても楽ですね。
へたに、あれこれ考えなくて済みますから。
そしてこのエゴの誘導にずっと従っていくと、それが当たり前になり、エゴがいないと決定できなくなっていきます。
エゴへ「依存」してしまうわけです。
こうなると、お互いが「依存」する形になりますね。
こうやって が始まります。
共依存ってなに?
もうよく知られた感のある「共依存」という言葉ですが、少しだけ説明しますね。
「共依存」は病名ではありません。
「共依存」は文字どおり、「お互いに依存しあう」という意味ですが、ただ依存しあっているだけなら「共依存」とは呼びません。
お互いが依存しあうだけで、生活が成り立っていくようなら何も問題ありません。
「共依存」はよくDVの話の時に出てきますが、DVに限って発生するわけではありません。
人間関係のある所なら、どこでも発生します。
でも「共依存」という言葉は、軽い気持ちでは使われません。
「共依存」と使うときは、依存しあったままで、お互いが立ち行かなくなってしまったときです。
少し困ったことが起きたり、周りが心配するようになってからですね。
お互いの依存が心地よくなり、抜け出せなくなって共倒れになってしまってから、周りが心配しだします。
でも周りが心配しだしたときには、もう手遅れってことも多いんです。
DVでは、お互いが依存関係におちいり、たいていは妻が暴力をふるわれ、軟禁・監禁状態になります。
そしてDV夫がやっていることは犯罪ですから、お互いが立ち行かなくなっている状態です。
(DVの共依存については、私の別サイト「野性のレイラ~DVから逃げる編~」『https://wildlayla-dv.com/pandv12.html』で詳しくお話ししています。)
エゴも、あなたを洗脳してコントロールしようとしていますから、DV夫のやることとよく似ています。
でもエゴは体を持っていないので直接暴力をふるいませんから、精神的虐待のみのモラハラ夫と近いですね。
DV夫が良い悪いを勝手に判断して、妻にさせるところなど、とてもよく似ています。
一方、エゴの洗脳を受けて、エゴの決めることに何でも従っていると、あなたはエゴなしでは何も決められなくなっていきます。
DVを受ける妻も、DV夫に従っていくので、だんだん何も決められなくなりますから、これもよく似ていますね。
エゴの映画を見てエゴの言うとおりにやっていると、自分で決めるのがおっくうになってきます。
そして知らないうちにずるずるとエゴの言いなりになってしまうんです。
それがお互いにとって心地よく、止めることができません。
客観的に見れば、堕ちていっているんですが、そんなこと気づきません。
負のらせんに落ちていって、お互いが立ち行かなくなり、取り返しがつかなくなってしまうんです。
なんでエゴに決定を任せてしまうの?
毎日の人間の決定回数って、一日9,000回とか、一日35,000回とか、いろいろな研究がなされていますが、ものすごい数ですね。
何回が正しいかは別として、ちょっと想像してみてください。
どうでもいいことから、とてもキツイことまで、毎日毎日ものすごい量の決定を迫られているあなたを。
朝起きて、あなたはどうしますか?
歯を磨きますか?
トイレに行きますか?
朝ご飯を食べますか?
それてもシャワーにしますか?
それを毎日いちいち決めます。
想像できたでしょうか?
そんなに疲れることを、朝から晩までやっているわけにはいきませんね。
朝起きて、歯を磨くべきか?トイレに行くべきか?朝ご飯を食べるべきか?はたまたシャワーするべきなのか?なんてやってられません。
そこでもう毎日のどうでもいいことは、 しちゃってるわけです。
それがエゴの罠なんです。
エゴは小さいことから決めることで、なし崩しに大きいことも誘導するんです。
では、もう少し大事なことを決めるとします。
例えば、
このお金持ちっぽい人と付き合うべきか?とか。
そして、子どもの頃からエゴの映画を見て決めてきたあなたは、これくらいの重要度ならどうでもいいって思うようになってます。
エゴは当然、お金持ちと付き合って、ごうせいな生活をしている映画をあなたに見せることでしょう。
野性の(本当の)あなたなら、
「相手がお金持ちであろうがなかろうが、一緒にいて成長できたり、楽しいから付き合う」でしょう。
でも、エゴに「依存」してしまうと、エゴの意見に流されてしまいます。
お金や、怠惰や、見栄に走ってしまうんです。
それが大きくなって、就職や結婚などといった問題までエゴが支配していくようになります。
「やりがいよりも賃金」「愛よりも体裁」といった、エゴの思考回路で人生が進んでいくんです。
でもそれでは幸せは、残念ながら逃げていってしまいます。
エゴの言うとおりにした人生は、自分の人生じゃないんです。
エゴの人生です。
あなたの人生を、もう一度、考え直してみてください。
今日も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回は、エゴの言うとおりばかりしていると、うつが近づくって話をしようと思います。