同じゾウでも一部だけ触るとゾウっだってわからないお話


今日は少し抽象的で哲学的なお話をします。
私はこの手の話が大好きなので、何回も出てくると思います。
お付き合いくださいね。
 

①ゾウをいろんな角度から触ってみる話
②どうすればゾウってわかる?
③話がかみ合わないときって、必ずこの状態。
④転じて、解釈でどうとでも見えるって話
⑤もっと転じて、自分の好きなように見ればいいって話

①ゾウをいろんな角度から触ってみる話

アラビアのお話っぽい始まりでいきます。
(どんなお話だ?)

5人の僧が賢者に目隠しをされ、あるところに連れてこられました。
賢者は5人の僧に、
「目の前にあるものに触ってみて、どんなものか表現してほしい。」
といいました。

1番目の僧は、「ゴツゴツした固い触りごこちの、柱のようなものがある。」と言いました。
2番目の僧は、「すべすべしている壁がある。」と言いました。
3番目の僧は、「少し暖かいホットカーペットの床だが、平らではない。」と言いました。
4番目の僧は、「平たくて大きい、扇のようなものがある。ギャー。」と、その扇のようなものに張り飛ばされました。
5番目の僧は、「太い木の枝のようなものがある。あ、これ動いている。ギャー。」と、太い木の枝のようなものがブンブン動き、つかまっていられなくなり、飛ばされてしまいました。

それを聞いた賢者は、
「あなたたちが触っているのはゾウだよ。みんな正しいことを言っている。」
と言いましたとさ。

※この話は、本当はインドのお話で、「群盲象を評す」というありがたいお話を、私が少し簡単に、かつ、大げさにしたものです。

②どうすればゾウってわかる?

この5人の僧たちは目隠しされていますから、ゾウの全体像は見えません。
この5人の僧たちがゾウだと知るには、目隠しを取るしかありません。

目隠しを取らずに全体を把握しようとすると、ゾウのいろいろなところを触ってみないといけません。
ひとりひとりがゾウのあらゆる部分を触って、話し合ってみないとわからないでしょうね。

また、いろいろなところを触ってみても、その人がゾウを知らないと、自分が何を触っているのかさえわかりません。
まったく知らないものは想像すらできませんよね。

③話がかみ合わないときって、必ずこの状態。

私は人間関係の話をしたいので、このゾウのお話も、人間関係に当てはめてみたいと思います。

話がかみ合わない人っていますよね。
話をしていると、いちいち、かみ合わないのでイライラしてきたり。
で、かみ合わない人とは何が違うかってことなんですが、なぜかっていうと、

「言葉のイメージ」がまったく違うんですね。

人は、今まで見聞きしたことや経験から、その人の考え方を作ります。
そして、その考え方から、言葉をイメージするんです。

例えば、
「ゾウを柱だと思っている人」と、
「ゾウをホットカーペットだと思っている人」
話したとしても、かみ合わないことは目に見えてます。

「ゾウを柱だと思っている人」は、丸い柱しか目の前にないので「柱だ!」と主張します。
一方、「ゾウをホットカーペットだと思っている人」は、「ゾウを柱だと思っている人」の気持ちがまったくわかりません。
「ゾウを柱だと思っている人」と、「ゾウをホットカーペットだと思っている人」がゾウについて話しても、下手をするとケンカになってしまいます。

お互いが主張し合います。
そしてお互いが正しいことを言っていますから、結局わかり合えません。

なんでわかり合えないかっていうと、
それは、自分以外の人間は、自分の言葉のイメージを変えられないからなんです。
自分の頭の中にあるイメージを変えることができるのは自分だけです。
ということは、自分が変えようと思わないかぎり、だれに何を言われたって、変わりません。

そして、変わらなくていいです。
いろんなイメージ、いろんな考え方があるのが個性ですから。
どちらも悪くありません。
で、意味なくケンカするのはやめませんか?って話です。

④転じて、解釈でどうとでも見えるって話

さて、このゾウのお話は、いろいろなことに転用できます。
まず、1番目、全体像を知らないといけないって話にできます。
木だけ見ていては森が見えないから、ダメだよってことですね。

次に2番目、部分的なところしか見ることのできない人はおろかだっていう話にもできます。
仕事していて、自分がやっていることしか見えない人を批判するパターンですね。
例えばレストランで皿洗いの仕事をイヤイヤしている人に、
「皿洗いの仕事もあるから、おいしい料理が出せるってことがわかってない!」
と、シェフが説教するパターンです。

そして3番目、ひとりひとりは部分的なことしか見えていないが、みんなが集まって協力すればわかってくるという、あたたかい話にもできますね。
演劇でも、主役がいて、わき役がいて、ちょい役がいて、木の役とかイカの役がいて、成り立っているわけです。

このように、ゾウのお話を聞いても、解釈は人それぞれなので、答えがひとつではないですね。
ゾウのお話を聞いて、怒ったり、笑ったり、泣いたり、いろいろな感情がでてきます。
あなたはどう感じたでしょうか?

⑤もっと転じて、自分の好きなように見ればいいって話

今度はあなたの幸せの話をしますね。
あなたは、さまざまな人の内の1人です。
見方はあなたが自由に決められます。
どう見たっていいんです。

例えば上の賢者へのイメージだって、
「素晴らしいことを5人に教えようとしている。」と思ってもいいし、
「なんてくだらないことのために5人を呼んだんだ。」と思ったっていいんです。

あなたの想いは誰にもわかりません。
どんなひどい想いでも、どんなに汚い想いでも、誰も知ることはできません。
自分に都合のいいように解釈して、明るく生きましょう。

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